藤井(ふじい)城

2016年5月23日撮影


◆別名:

 

◆所在:

安城市藤井町本郷

 

◆交通:

 

◆歴史:

安翔松平二代目である松平長親(松平清康の父:徳川家康の曽祖父にあたる)が五男の松平利長に矢作川北岸にある碧海郡藤井を与え、対岸の東条城などを領する吉良氏を牽制する目的で築いた城であり、藤井松平家の本拠地となった。

 

天文9年(1540年)安翔城が織田信秀軍に急襲を受けた際には、宗家の広忠の命を受け、混成軍を編成して救援に赴き、これを撃退している。

利長の嫡子である信一も早くから徳川家康に仕え、永禄元年(1558年)の品野城夜襲戦では織田方の将兵50余名を討ち取るなどの戦功を挙げている。

その後も三河一向一揆鎮圧戦や長篠の戦でも活躍。他にも織田信長への援軍として赴いた観音寺城攻略戦では箕作城攻めで本丸一番乗りの功を挙げ、信長にも賞賛されている。

 

豊臣政権下にて徳川家康が関東へ移封になると信一これに従い、藤井城は廃城となった。

 

◆現在:

住宅地の一角、藤井公民館の前に城跡碑と看板が残されている。

堀と土塁などがあったと言われているが、明治から昭和にかけての土地改良などにより、遺構は消滅してしまった。 


公民館前に秋葉社と看板、城跡碑が建てられている。


大正時代に建てられた城跡碑