的場丘(まとばおか)城

城があった近辺には、本城公園がある。

 

2016年5月23日撮影


◆別名:

小川的場丘城

 

◆所在:

安城市小川町的場丘

 

◆交通:

 

◆歴史:

家康の懐刀とも言われる本多正信の城。

 

本多正信の先祖は太政大臣藤原兼通の息子である藤原顕光(藤原道長は従兄弟になる)の子孫である馬之允助秀が豊後国本多郷に居住して本多姓を名乗った事が始まりとされる。

助秀の嫡子助定は足利尊氏に仕え、建武3年(1336年)に凶徒鎮圧の功により尾張国横根・粟飯原の二郷を領した。助定の2代後に定通と定正の兄弟がおり、定通から数えて8代後の子孫が本多平八郎忠勝、定正の6代後に本多正信が産まれている。

 

正信の曽祖父である忠正は松平清康 (徳川家康の祖父)に仕え、西条城に居住しており、子の正定も清康に仕えていたが、安城合戦にて討死を遂げている。

その息子である俊正も松平清康・広忠父子に仕えており、正信が産まれる頃には小川的丘場に居住していたと伝わる。

 

城主には正信の他に、本多宗左右衛門の名前があるが、どの人物を指すのかは不明。

正信の系統は弥八郎を呼び名としているため、宗左右衛門は正信の父である正俊などの直系の先祖ではなく、一帯に散った本多氏一族の中の一人であり、継嗣がいないなどの理由から正信の系統が領地を相続したのではないかと推測される。

 

◆現在:

本城公園の西側一帯が城跡と言われている。

本城公園には志茂城の由来が書かれた物が東屋に残されている。