安城(あんじょう)陣屋

2016年5月23日撮影


◆別名:

久永陣屋

 

◆所在:

安城市安城町道上12

 

◆交通:

 

◆歴史:

徳川綱吉が将軍であった元禄11年(1698年)旗本寄合の久永信豊が安城村・米津村(西尾市)・加茂郡加納村(豊田市)で計4354石を知行した時に設けた陣屋で、明治4年(1871年)に廃藩置県を迎えるまで久永領の行政の中心となった。

 

久永家初代の久永信豊は徳川家光に近侍し、それなりに重用されていたようだが、家光が死んだ時に老中の堀田正盛や阿部重次ら11人が殉死する中、松平信綱と久永信豊は殉死せず、町人からは「浅ましき 身を久永に 祈りけん 夢の浮世に 夢の身なるを」と言う落手を残され揶揄されたと伝わるが、これは松平信綱と同様に家綱に仕えるように依頼されたと見る方が正しいと思われる。

 

元禄15年(1702年)赤穂義士による吉良義央討ち入り(忠臣蔵)が起こり、翌元禄16年2月には義士たち全員が幕府より切腹を申し付けられるが、重章はこの使者に立つなどの役割をこなしている。

 

◆現在:

住宅地の一角にある高台に案内板が設置されている。


陣屋跡は現在住宅地の中の一角となっており、北側が開けた台地の突端にあったと思われる。


陣屋北側から撮影。

小高い地に建てられていた事がわかる。