姫(ひめ)城

城の近辺に建つ誓願寺

 

2016年5月23日撮影


◆別名:

姫小川城 ・ 姫郷城

 

◆所在:

安城市小川町姫

 

◆交通:

 

◆歴史:

内藤清長によって築かれた城と言われている。

三河内藤氏は藤原秀郷の流れを汲み、丹波(現在の京都府)や周防(現在の山口県)に勢力を持つ内藤氏の支流と言われているが、これを裏付ける資料は無いため、仮冒の可能性もある。

 

内藤義清は上野城主(上野下村城主?)として松平信忠、清康に仕え、大永5年(1525年)には三河へ侵攻してきた織田信秀の軍を迎撃。享禄2年(1529年)には松平清康に従い、吉田城宇理城攻めなどにも戦功を挙げ、岡崎五人衆の一人として松平家を支えていたが、天文4年(1535年)に起こった森山崩れにより、清康が死去すると、松平家は弱体化していく。

義清は天文5年(1536年)に三河へ侵攻してきた織田信秀の軍を迎え撃った際に負傷し、その傷が元で翌年に死去している。

 

義清の嫡子である清長は引き続き上野城に在城しており、天文11年(1542年)に織田信秀の軍が攻め寄せてきた際には、これを迎撃して数十人を討ち取ったと言われている。

その後、清長はこの地に移されて姫城を築くものの、三河一向一揆の際には一揆軍に加担し、松平家と敵対。一揆軍が敗れ去ると荻城へと蟄居したが、徳川幕府の時代になると、内藤氏の一族は各地で譜代大名となり隆盛を極めている。

 

◆現在:

誓願寺の北東に城があり、明治時代までは土塁の一部などが残されていたと伝わるが、現在は住宅地となっており、遺構などは存在しない。

誓願寺の山門は豊田市寺部城の城門が移築された物である。


誓願寺の山門として移築された寺部城の城門