2015年2月16日撮影
◆別名:
◆所在:
安城市野寺町野寺
◆交通:
◆歴史:
岡崎市の上宮寺(じょうぐうじ)、同じく岡崎市にある勝鬘寺(しょうまんじ)と並んで三河三ヶ寺と呼ばれ、三河における本願寺教団の拠点となっていた。
三河一向一揆が起こった際、家康の家臣の中からも、本多正信や蜂屋貞次、渡辺守綱、本多正重など多数が一揆方として参加し、中でも石川氏には本證寺門徒も多く存在したため、一族の中でも門徒方と家康方に分かれ、家康の三大危機とも称される戦いとなった。
一時は門徒宗が岡崎城まで攻め寄せるなど家康は苦戦したが、馬頭原合戦で優位に立ち、小川の戦いでは当主の空誓上人(蓮如の孫)が逃亡したため、本證寺は廃寺となり、一揆は収束、三河は真宗禁制の土地となった。禁制が解かれた1585年に本證寺は再建され、江戸時代には末寺が200を超える勢力となった。
◆現在:
境内の周囲を堀に囲まれ城塞の名残をとどめており、土塁なども現存する城郭伽藍となっている。
なぜか、境内には説明の看板などが無く、上記写真は山門前の道路を挟んで向かい側に立っていた。
寺の周囲には堀跡が残されている。
写真は本堂南西の部分
本堂裏にある土塁と思われる箇所
本堂北側は普段立ち入りが禁じられているが、年に数回入る事が可能で、土塁や切岸などを見ることができる。
写真は堀跡