◆別名:
◆所在:
安城市緒川町志茂
◆交通:
◆歴史:
文安3年(1446年)に石川康政によって築かれたのが始まりとされる。
石川氏は八幡太郎義家を祖先に持ち河内国に所領を得ていたが、平清盛に追われて下野国へ移り、12代政康が蓮如上人に従って三河国へ来た際に、本證寺の守備を任されたと言われている。
政康の四男である康頼は蓮如に従って出家し、明了と名乗り、城の南に蓮泉寺を建立している一方で、長男の康親は松平宗家の四代目である親忠に仕え、以後子孫は代々松平家の片腕となって三河の支配を助ける形となった。
15代目石川清兼は五奉行の一人として西三河を采配すると同時に本證寺の後継者に対し、門徒の代表として署名をするなど門徒宗総代の立場でもあった。清兼には三人の息子が有り、長男康政の息子が石川数正、三男が家成である。
◆現在:
本城公園の東側一帯が城跡と伝わり、公園の東屋には由来が記載された物が掲示されている。
蓮泉寺は現存しているが、城跡は住宅地となっている。