絵下(えげ)城

2015年5月25日撮影


◆所在:

刈谷市泉田町惣助改田

 

◆交通:

 

◆歴史:

『えげ』とは僧侶が辻説法をする場所を指しており『会下』『絵下』などの字が使われて、地名として各地に存在している。

 

刈谷市の絵下城は矢田作十郎が矢作川沿いの高台に築いたと伝わるが、それ以前より、ある程度は人の集まりがあった土地で、矢田氏が支配していたと思われる。

 

矢田作十郎は父祖の代から松平氏に仕え、金鯉の兜で有名な武将だが、一向宗を信仰していたため、三河一向一揆では一揆方に属して大将の一人として松平元康に敵対。

松平忠倫らと共に上宮司城に籠城したが、鉄砲に中り討ち死にを遂げた。

※小豆坂で討ち死にしたとも言われている。

 

その子孫には、赤穂四十七士の1人である矢田五郎衛門助武がいる。

 

◆現在:

絵下城児童遊園となっているが遺構などは存在しない