椎の木(しいのき)屋敷

2016年6月20日撮影


◆別名:

 

◆所在:

刈谷市銀座

 

◆交通:

 

◆歴史:

緒川城主の水野信政の娘である於大の方は、岡崎城の松平広忠に嫁ぎ、天文12年に後の徳川家康を産んだ。実家の水野家は信政の息子である信元(於大の方の兄)の代になると、織田信長との関係を密にしていく。一方、於大の方の嫁いだ松平家は織田家と敵対する駿河の今川家に従属していったため、今川家との関係を考えた松平家より離縁され、実家である水野家に戻る事になった。

 

この椎の木屋敷は、実家に戻った於大の方が3年程暮らした屋敷で、その後坂部城の久松俊勝に再嫁する事になる。

 

◆現在:

江戸時代は家康生母の館だった事で、一般の人の出入りは禁じられていたと言われていたが、明治になると井野氏が譲り受け、庭園として整備した。

しかし、宅地化が進み、現在は屋敷の一部が公園として整備保存されている。 


公園には於大の方の像がある


屋敷の由来が書かれた石碑


刈谷城の北東に位置している。

この坂の上に屋敷跡として公園があるが、駐車場はないので、亀城公園の駐車場から歩いて来る事になる。