天子神社の御由緒
2016年9月5日撮影
◆別名
◆所在
刈谷市小山町6
◆交通
◆歴史
知立城主で知立神社の神主でもある永見氏の一族で永見新右衛門の居城とされるが、詳細な場所などは不明。天子神社の社殿造営の際に永見氏と二宮氏の名前を見ることができ、天子神社が建立された天文21年(1552年)頃は永見氏の支配下にあったと思われる。
当時、逢妻川と境川は現在よりも川幅も広く、小山村近辺は川沿いと言うよりは、衣浦湾の最深部にあたる土地で、川の西側にある土地は緒川城主の水野信元が治める土地であった。
水野家と永見家は婚姻関係で結びついていたため、水野家に対する砦と言うよりは、知立城の支城として、船舶の運航と東西の往来を監視する役目を兼ねて、一族の人物を配した城館だったと思われる。
◆現在
明治時代、現在の天子神社や敬専寺のある小山6丁目、7丁目あたりにはある程度の集落があり、居城も近隣にあったと思われるが、遺構などは残されておらず詳細な場所も不明である。
神社の北側には天子神社貝塚があり、古来から暮らしやすい土地であった事が伺える。
敬専寺の案内版
永見志摩守に関する記述がある。
天子神社の案内板