2015年3月2日撮影
◆別名:
知立古城
◆所在:
知立市西町西
◆交通:
◆歴史:
知立神社の神主である永見氏の居城とされる。
二十九代永見貞英の娘はお万の方として徳川家康に嫁して結城秀康を産む事となった。
また、貞英の母は刈谷城主の水野忠政の娘であり、その妹は家康の生母であるお大の方である。
つまり、水野忠正から見れば、徳川家康と永見貞英は孫と言う事であり、さらには家康とひ孫(貞英の娘)が結ばれた結果、結城秀康が産まれた事になるため、永見家は水野家を通じてにはなるが、徳川家に近い氏族の一つと言えるだろう。
このためかは不明だが、知立神社は江戸時代は東海道三社の一つとして有名で、知立城近辺の池鯉鮒宿は東海道の宿場町として繁栄を極めたとされる。
◆現在:
城跡は公園となり、園内には知立城跡の碑などに加え、明治天皇休息地の碑も建てられている。
知立神社の多宝塔
嘉永3年(850年)に建立されたが、現在の塔は永生6年(1509年)に再建された物である。
神社本殿は天文10年(1547年)に兵火によって焼失しているが、この塔は兵火を免れた遺構と言われている。
知立城の南にある池鯉鮒宿本陣跡の看板