住吉社に立つ石碑
2016年4月25日撮影
◆別名:
高圃城
◆所在:
豊明市沓掛町住吉
◆交通:
◆歴史:
沓掛城の北東800m程の地に存在する沓掛城の支城。
この地域を支配していた近藤氏の九代目近藤景春は織田信秀の死去に伴い、鳴海城の山口教継の勧誘で今川方に寝返った。三河の地を手中に収めた今川義元は尾張への侵攻を開始し、要地である沓掛城には義元の妹婿である浅井政敏が入り、近藤景春は支城の薬師ヶ根城へと移り織田方に備える事になった。
しかし、直後に起こった桶狭間の戦いで義元が討ち取られたため、浅井政敏は本拠地の駿河へ撤退し、景春は沓掛城へ戻ったが、信長に攻め滅ぼされる事になる。この時に薬師ヶ根城も廃城となった。
◆現在:
円福寺周辺が城跡と言われているが、場所は定かでは無い。
円福寺の400m程北に住吉社があり、境内の碑には『元亀2年(1571年)安土桃山時代薬師ヶ根居城 別記右近将監字高根産…』と記載がある。
住吉社の東にある上高根公民館から見ると、住吉社は土塁の上に建てられているようにも見える。
※左の土手の上が住吉社