城跡は神明社となり、境内中央には天然記念物の大椎が有る。
2015年2月15日撮影
◆別名:
永良村古屋敷
◆所在:
西尾市上永良町宮東
◆交通:
県道292号線の中島橋東交差点を広田川沿いに南下し、600m程進むと、左側に黒塀が見えてくる(貝吹陣屋跡)が、その向かいにある正顕寺脇の路地を西へ入る。
広田川にかかる貝吹橋を渡って左手に見える木々に囲まれた所が城跡となる。
◆歴史:
鎌倉時代に武田氏の配下であった加藤景俊が永良郷に来住して城館を築いた事が始まりとされる。
加藤家は代々松平家に仕えていた豪族で、後に豊臣秀吉の下で賤ヶ岳七本槍の一人として名を馳せた加藤嘉明は、1563年にこの地で産まれている。
嘉明の父であり、当主の加藤教明は三河一向一揆の際に、松平元康に反旗を翻して一揆側に味方をするが、一揆側が敗れ去った後は流浪の身となり、美濃国で馬飼にまで身を落としたとも言われている。
この時、上永良城も廃城になったと思われる。
その後、教明は京へと登り、永禄12年(1569年)に起こった本圀寺の変の際には足利義昭の配下として三好三人衆と戦ったと言われているが、天正年間には豊臣秀吉に属して、近江で三百石を拝領している。その後、家督は嘉明が継ぎ、伊予松山20万石の大名へとなっていった。
◆現在:
遺構は残されておらず、城跡は神明社となっている。
境内には天然記念物の大椎の木が有り、加藤嘉明誕生地の碑も立てられている。
境内には豊臣秀吉配下で賤ヶ岳七本槍の一人として有名な加藤嘉明生誕地の碑が立っている。
天然記念物の大椎の木が有り、樹齢は千年と言われている。
この地に産まれた加藤嘉明もこの木を眺めていたと思うと、歴史を感じさせる。