高木(たかぎ)城

2015年2月16日撮影


◆別名:

高木清秀邸

 

◆所在:

安城市高木町下屋敷

 

◆交通:

JR東海道線安城駅の北側を走る県道47号線を東に2キロ程走ると、道路の南に大岡交番がある。交番から、さらに130m程東に行った所にある高木町バス停の手前の路地を右折し、最初の四つ角を右折(南の方向へ進む)して100m進んだ道路沿いに碑が残されている。

 

◆歴史:

室町時代に高木の地を治めていた高木氏だが、子孫の高木清秀は岡崎に産まれ、緒川城の水野信元に所属した後、織田信秀の配下を経て、再度水野信元の元に属し、姉川の戦いや長島攻めなどに従軍して功績を立てたとされる。

 

永禄六年に三河一向一揆が起こった際、水野信元は家康への援軍として出陣し、それに従った高木清秀は奮戦し、信元の配下であったにもかかわらず、徳川家康からは先祖の地を与えられると言う手柄を立てた。

 

その後、水野信元は織田信長に追放され、信元の後任である佐久間信盛も同様に追放、さらには信長も本能寺の変で倒れたため、家康の家臣となり、徳川十六将の一人として先祖の地である高木を治める事となった。家康の関東移封に伴い、武蔵などに領地を得た際に高木城は廃城となった。

 

◆現在:

遺構などは残されておらず、道路脇に碑が立っているのみ。